解説文より
霊神たるにより寛文七年五月藩主池田光政公が稲川長秀、西村伯明の奉行に命じ勧請建立、其の後再建したものである。
創立は不詳なれど古老によると児島が島だった頃、狐などによる農作物の被害が多大で氏子の人達が熊野神社に祈願したところ、神社の西に祠を建てれば、狐達ここに集いて田を荒らさなくなるとのお告げありて、現在の八尾羅宮 を建立す。ただちに被害少なくなり、集まりし狐達はお礼に熊野神社の護り動物となる。氏子の人農作物は豊かになり護国豊穣の神と崇める。後に火災除け、嫁いびり防止、との信仰深く多くの人集まる。
ところが正徳二年に岡山藩主池田綱政は、お蔭多きは人心を惑わすものとし、大多羅寄宮に移転、統合す。しばし信仰できなかったものの、明治時代に再び現地に帰り祀られる。現在は金運増大、資格・入学合格成就、また限界打破、八方破り、いじめ除けの神様として遠方からも参詣の人有り。
八尾羅宮 参拝順路
鳥居をくぐり、直進
拝殿の前で左に曲がる
納札所の前で右に曲がる
八尾羅宮が見えるので、直進
拝殿の前で左に曲がる
納札所の前で右に曲がる
八尾羅宮が見えるので、直進
八尾羅宮 割札守
八尾羅宮 御札・お守り
(いじめ除け 身体健全)
(合格祈願 身体健全)
(願意 記載なし)